葛飾北斎の版画「神奈川沖浪裏」。通称「大波」として世界的に有名です。この作品は、木版を使って印刷したものですので、最初の木版(初版)で印刷されたものと木版の数がすすんだもの(後期)のものでは違いがあります。
初版と後期のものの違いはいったいどこにあるのか。葛飾北斎の名作を検証します。
今回は、キュリオオーナー、渡木が様々な資料を分析した結果をまとめました。
葛飾北斎(1760-1849)の版画「神奈川沖浪裏」。「大波」として世界的に有名で、日本を代表する絵柄とも言えるのが、北斎の「神奈川沖浪裏」なのです。
この「神奈川沖浪裏」、制作は、1830年頃と言われていますが、初版をご覧になったことがありますか?
というのも、「神奈川沖浪裏」は、あくまでも版画作品ですので、オリジナルがあるのではなく、印刷されたものを楽しむために、木の版を作って印刷し、その印刷物を一般の方々が目にしているわけです。しかし、版木(原版)は、刷れば刷るほど、傷んできます。そのため、最初の版木(初版)で刷られた作品は、とても数が少なく、版木の数が進むにつれ、構図に多少の変更が加えられたり、知らず知らずのうちに変わってしまった部分もあるでしょう。
現在までの研究で、完全に“これが初版だ”というものは、出ていませんが、初版であろう、もしくは、限りなく初版に近い、ということが分かってきていますので、今回は、そのレポートをお届けします。
シカゴ美術館所蔵作品。初版に近いとされる作品(左)、後期の作品(右)
今回は、特に空の部分について、リサーチしています。これは、一般の方々が一番目にするだろう作品の印象で、それが強く残ってしまっており、勘違いしている可能性が高い部分です。その印象に残っている色合いなどは、近代のポスターやメディアの複製、または、欧米の金型を使用した1890年代後半(明治時代)の版画などであり、例えば日本の空港で、日本土産として販売されているようなポスターも現代の色彩であり、後期のバージョンです。
後期のバージョンは、雲や空が、黄色やピンクがかっており、これは、“初版であろう“、もしくは、“限りなく初版に近い“ものでないことを意味しています。
まず、色素喪失の理由の第1は、色が褪せやすいことがあげられます。もともと植物で染めていたため、時間の経過とともに、消えていきます。しかしその後、日本の版元は、ヨーロッパの金型と印刷器を輸入しました。これによって長持ちする版ができ、色褪せしづらい印刷が可能になったのです。
さて、そんな中、例外的に保存状態が良い“初版であろう“、もしくは、“限りなく初版に近い“作品があります。現在、それは300万ドルの価値があると言われています。
さて、シカゴ美術館には、3つの「大波」がコレクションされています。
まずはこちら(リンク1)。この作品は、初版にかなり近い版であることは間違いありません。
この作品は、空の色は、暗くなり、雲との境目が、ほんのり判別できる程度です。
続いて、シカゴ美術館の2つ目(リンク2)。これは、先ほどの作品より少し後のものです。
この作品では、タイトルの四角い枠の下半分の線の部分が欠けていることが、分かるでしょう。これは冒頭で話した、版木の欠けと思われます。そして、空の色は、ほとんど消えてしまっています。
シカゴ美術館の3つ目(リンク3)
この作品は、ピンクの空がとても目を惹きます。しかし、この作品は、かなり後期の作品で、明治時代のものです。この顔料(インク)は、オリジナルの顔料ではなく、西洋から輸入されたのもで、自然素材ではなく化学的な顔料なので、退色にはるかに強く、色褪せしづらいのです。
次にご紹介するのは、MIA(ミネアポリス美術館)のコレクションです。
MIA- Under the Wave off Kanagawa
この作品は、タイトル部分の枠線が、とても細く描かれ、そのうえ空の黄色をわずかに保っています。
最後の例は、MFA(ボストン美術館)のコレクションです。この作品は、初期よりも少しだけ後の作品です。
MFA- Under the Wave off Kanagawa
空の黄色やピンクがほとんど失われしまっています。
これらの例から、“初版であろう“、もしくは、“限りなく初版に近い“作品について、より一層理解が深まったのではないでしょうか。
確かに、色が鮮明に見えていた方が、見た目は綺麗に見えますが、200年近い歳月を経た作品の劣化は、その鮮明さよりも、深い感動を与えてくれます。
有限会社キュリオ 渡木章浩